大判例

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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7935号 判決 1971年11月26日

原告

(ドイツ国)

メルク、アンラーゲン、ゲゼルシャフト、

ミット、ベシュレンクテル、ハフッング

代理人

ローランド、ゾンデルホフ

牧野良三

品川澄雄

被告

A社

代理人

田倉整

復代理人弁護士

寒河江孝允

輔佐人弁理士

朝日奈宗太

田村恭生

被告

N社

代理人

小坂志磨夫

松本重敏

・代理人

内田文喬

小池豊

青柳昤子

輔佐人弁理士

竹田和彦

主文

被告A社は、

別紙目録記載の物品を輸入し、譲渡してはならない。

被告N社は、

別紙目録記載の物品を製剤し、譲渡してはならない。

被告らは、その占有にかかる別紙目録記載の物品を廃棄しなければならない。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

この判決は、原告において、被告らに対し、それぞれ金七千万円の担保を供するときは、その被告に対し、かりに執行することができる。

事実《省略》

理由

一当事者間に争いのない事実

原告が、ビタミンB6―ジサルファイドの製法に関する、原告主張の内容の特許権を有していることおよび被告A社が、昭和四五年三月頃からビス―〔4―ヒドロキシメチル―5―ヒドロキシ―6メチル―ピリジル―(3)―メチル〕―ジザルファイドの一水和物の二塩酸塩の原末を輸入し、被告N社に譲渡し、同社は、これを有効成分として、治療目的に応じて成型したうえ、昭和四五年六月一〇日頃から、「D」なる商品名で脳代謝、機能改善剤として市販したことは、当事者間に争いがない。

また、特許法第一〇四条にいう「その物が……日本国内において公然知られた物」の意味につき、当裁判所は、その物が必ずしも現実に存在することは必要でないが、少くとも当該技術の分野における通常の知識を有する者においてその物を製造する手がかりが得られる程度に知られた事実が存することをいうものと解するところ、本件特許出願につき優先権主張の基礎となつた第一国出願の日である昭和三五年八月二七日当時において、本件特許発明の目的物質が、日本国内において公然知られていなかつたとの事実についての原告の主張も、右の意味を有するものであることは、弁論の全趣旨に徴し明らかである。被告は、右事実を明らかに争わないので、これを自白したものとみなされる。

二本件特許発明の目的物質の範囲

そこで、まず、被告A社の輸入する物質が、本件特許発明の目的物質であるかについてみる。

元来、特許法第一〇四条における、特許発明の目的物質と「同一の物」とは、いうまでもなく、特許請求の範囲に記載された目的物質と同一の物ではあるけれども、両者の同一性を判断するにあたつては、特許発明の明細書における発明の詳細な説明を参酌すると共に、具体的事案に即して、その物質、特徴をも考慮すべきであると解するところ、本件特許発明の明細書の特許請求の範囲には、3、4―ビス―ブロムメチル―5―ヒドロキシ―6―メチルピリジンまたは3―ブロムメチル―4―ヒドロキシメチル―5―ヒドロキシ―6―メチルピリジンまたはその酸付加塩を、無機二硫化物、特に二硫化ナトリウムと反応させ、その反応混合物からビス―〔4―ヒドロキシメチル―5―ヒドロキシ―6―メチル―ピリジル―(3)―メチル〕―ジサルファイドを単離することを特徴とするビタミンB6―ジサルファイドの製法である旨記載され、また、発明の詳細な説明中には、右反応混合物から本件目的物質を単離する方法として、右反応混合物から不純物として元素状硫黄を含有する本件目的物質ジサルファイドを濾別し、引続き沈澱を稀酸、例えば2N―塩酸に溶かし、その際不溶で残留する元素状硫黄を濾液から蒸発濃縮することによつて、ビス―〔4―ヒドロキシメチル―5―ヒドロキシ―6―メチル―ピリジル―(3)―メチル―〕―ジサルファイドの二塩酸塩水和物を得ることができる旨の記載がある点からみれば、本件特許発明における目的物質は、単にビス―〔4―ヒドロキシメチル―5―ヒドロキシ―6―メチル―ピリジル―(3)―メチル〕―ジサルファイドそのもののみに限定されるものではなく、同物質の二塩酸塩の水和物のような塩をも含めた物質を指しているものということができる。

また、かく解しても、次の理由からも、本件特許請求の範囲に記載のない事項を付加したものということはできない。即ち、本件目的物質のような化合物については、酸または塩基とその通常の塩とは相互に容易に変りうるものであり、実質的に特段の別異な化合物とはされていないものと化学常識上いえるのみならず、前掲甲第二号証および弁論の全趣旨から、本件においては、ビス―〔4―ヒドロキシメチル―5―ヒドロキシ―6―メチルピリジル―(3)―メチル〕―ジサルファイドとその塩は、使用目的が同一で、その目的上の効果にも特別な差異がないことが推認されるから、右物質とその塩とは、少くとも本件特許発明においては、同一の目的物質の範囲に属するものとみて差し支えないからである。

三特許法第一〇四条の「出願前」における出願日の意義

そこで、本件のように、物を生産する方法の発明について特許がされ、その特許について、パリ条約第四条にもとづく優先権の主張がされている場合、特許法第一〇四条にしたがつて被告の生産方法の推定がされるための要件である、特許発明の目的物質が「特許出願前に日本国内において公然知られた物でないとき」の出願前が、わが国における現実の特許出願日前を意味せず、優先権主張の基礎となつた第一国出願日前を指すものであるか否かについて検討する。

1  右につき、特許法第一〇四条に規定する「出願前」の意義が、わが国における出願の日以前であるとする論拠としては、次の諸点を挙げることができる。

(一)  優先権を定めるパリ条約第四条A項(1)は、「いずれかの同盟国において正規に特許出願……をした者は、他の同盟国において出願をすることに関し……」と規定して、その優先権の効力の範囲を特許の出願手続に限つているのである。したがつて、同優先権の具体的な内容を定める同条B項は、右限定の範囲内において解釈されるべきであり、この観点からみるならば、同条B項の内容、即ち、パリ条約が定める優先権の主張がされることによつてその効果が生じるのは、

(1) 優先権の期間中の発明の公表、実施によつて、その発明の新規性がなくなつたとして、出願が拒絶されることはない。

(2) 優先権の期間中にされた他の出願に優先する。

(3) 優先権の期間中の第三者の実施によつて、先使用権が生じることはない。

との点についてだけであるから、右の点と関係のない特許法第一〇四条につき、パリ条約第四条の規定が適用される余地はない。

(二)  パリ条約第四条が規定する優先権は、属地主義の原則に対する例外規定であり、内国民の利益を制限し、その不利益において在外者を保護するものであるから、その明文の定めることろにしたがつて、厳格に解釈されなければならない。したがつて、その適用の範囲は、同条B項に明定された事項に限られるべきで、同項には生産方法の推定に関する何らの定めも明示されていないから、特許法第一〇四条に関し、右優先権の規定の適用は、排除されるべきである。

(三)  パリ条約第四条の二は、各国特許独立の原則を規定している。したがつて、各国において与えられた特許権は、それぞれの国の法律の規定にしたがつて独立の効力をもつものであり、条約の何ら関知するところではないから、特許権の効力を定めた特許法第一〇四条の適用についても、パリ条約にもとづく優先権主張の効果が当然に及ぶとは考えられない。

(四)  わが国の特許法を通覧すると、パリ条約第四条B項に明定する事項、即ち、先後願に関する第四四条第二項、第七二条、第八一条、第八二条および先使用に関する第七九条においては、その出願日とは、右条約に規定する優先権主張の基礎となつた第一国出願の日と解されることは当然であり、右各条においても特に条文上その旨を明記していないが、これに対し、右以外の条約に明定されていない事項であつて、同条約の優先権主張の基礎となる第一国出願日をもつて出願日と解すべき場合については、わが特許法は、各条文において、その旨を明定している。これは、同法第一七条第一項、第一七条の二および第六五条の二第一項において明らかである。そして、右以外の場合において、わが特許法上、出願に関する基準日が問題となる規定においては、パリ条約第四条の適用の余地はない。即ち、特許法第三〇条、第六七条第一項ただし書、第六九条第二項第二号、第八三条第一項ただし書のごときである。したがつて、特許法第二六条は、「特許に関し条約に別段の定があるときは、その規定による。」としてはいるけれども、優先権の主張に関する限り、パリ条約に明定されている事項と、それ以外の事項に関しては、わが特許法に明定されている事項についてのみ、同条約の定めが考慮されるのであつて、それ以外の条文に関しては、同条約の規定の適用の余地はない。

(五)  特許法第一〇四条は、生産方法の発明の目的物質が、日本国内において公然知られた物でないときに、それと同一の物について、その生産方法を推定する旨を規定しているのであつて、目的物質が公然知られたか否かは日本国内における問題である。したがつて、その判断の基準となる時点は、あくまでもわが国における特許出願の時と考えられるべきであつて、たとえ、問題となつた特許発明につき優先権の主張があつたとしても、これを考慮に入れることは、本条の趣旨とするところではない。

2  そこで、右1の各論点について検討する。

(一)  (1の(一)について)

なるほど、パリ条約第四条A項は、一見、同条が規定する優先権主張の効力は、特許出願に関する事項に限られるかのごとくにもみられる。ところが、右パリ条約第四条は、一九二五年一一月六日のへーグ会議における改正では、「(イ)締約国ノ一国ニ於テ発明特許ノ出願或ハ実用新案、工業的意匠若ハ雛形又ハ製造標若ハ商標ノ登録出願ヲ合式ニ為シタル者又ハ其ノ承継人ハ他ノ締約国ニ於テ出願ヲ為スニ付第三者ノ権利ノ留保ノ下ニ左ニ定ムル期間中優先権ヲ享有スベシ」(昭和九年一二月三日条約第五号)となつていたものが、一九三四年六月二日のロンドン会議では、「甲一 同盟ノ一国ニ於テ発明特許ノ出願或ハ実用新案、工業的意匠若ハ雛形又ハ製造標若ハ商標ノ登録出願ヲ合式ニ為シタル者又ハ其ノ承継人ハ他ノ同盟国ニ於テ出願ヲ為スニ付左ニ定ムル期間中優先権ヲ享有スベシ」(昭和一三年七月二七日条約第五号)と改正されたのであつて、右改正に関する理由書には次の記載がある。即ち、「本提案ノ理由ハ同一問題ニ付海牙会議議案ニ記載セラレシ所ヲ要約シテ之ヲ説明スルコトヲ得ヘシ巴里条約ノ起原ニ溯レハ条約起草者ノ意思カ最初ノ出願前既ニ存在シタル第三者ノ権利ヲ留保スルコトニ在リテ優先期間中ニ生シタル第三者ノ権利ヲ留保スルコトニ在ラサリシハ明白ナリ」。したがつて、右パリ条約の規定は、優先権主張の期間中に、その発明を実施した第三者についても、その優先権主張者に対し、実施の権利を生じさせない趣旨に解釈されなければならないことが明らかである。そして、一九五八年一〇月三一日リスボンで改正されたパリ条約における第四条A項(1)の規定は、その内容において、右ロンドン会議における改正条文と実質的に何ら変更はないから、同一の趣旨に解釈されるべきである。

ところで、右1の(一)の論旨において、パリ条約第四条A項(1)中の「出願をすることに関し」との部分を重視する理由は、その「出願をすること」なる用語の意味を、特許出願に直接関係のある手続に限定して解釈しているからであるといわれなければならない。けだし、右の用語の意味を拡大して解釈するときは、特許権のいかなる内容も出願手続と関係があり、その範囲は無制限に拡大されて、同論旨は、その論拠そのものを失うにいたるからである。そうとすれば、右条約改正の理由における、第三者に当該発明を実施する権利を生じさせないとの効果は、当該特許の出願手続そのものに直接限定されない、いわば、付与された特許権の効力ともいうべきものであつて、この点で、右改正の理由は、同項が規定する優先権の効力を、先使用による実施権を生じさせないことを含め、出願手続そのもの以外の事項についても及ぼさせることを意図していることが明らかであるから、条文の「出願をすることに関し」を特許出願に直接関係する手続に限定して解することは、前示改正理由に反することになるのである。

以上のとおり、パリ条約第四条A項(1)に規定する優先権の効力は、単に出願手続に関する事項にとどまらないことが明らかであつて、右条文における「出願をすることに関し」とは、1の(一)記述のような限定的意味を持つていないことになり、優先権の具体的内容は、右A項中の右部分の表現にかかわらず、同条B項の解釈にまたなければならないことになる。

(二)  (1の(二)について)

なるほど、パリ条約の定める優先権そのものは、他国において行なわれた特許出願の効果をわが国においても認めようとするものであるから、その点では属地主義の例外であるといえる。しかし、特許出願における優先権主張が属地主義の例外であるとしても、それのみをもつて、直ちにそれが制限的に解釈されるべきであるとの理由とはなりえない。元来、属地主義をとるか否か、また、外国において生じた事実をいかなる程度まで考慮するかは、それぞれの法において、その法の立法目的から合理的に定められるべきことであつて、これに関して、一般的な解釈基準が存在しているとは認められない。さらに、右優先権の主張が、内国民の不利益になるとの点についても、疑義がある。即ち、パリ条約は、内外人平等の原則(同条約第二条)を明らかにしているのであつて、同条約によつて、わが国民もまた、外国において優先権の主張をし、その利益を享受できるし、また、現在の国際的技術交流の状況を考慮に入れるとき、右優先権の主張が直ちに内国民に不利益であるとの結論は出しえないからである。してみれば、右の理由を根拠として、特許法第一〇四条を厳格に解釈すべきであると断定することはできないことになる。

(三)  (1の(三)について)

特許法第二六条は、「特許に関し条約に別段の定めがあるときは、その規定による。」と定めている。同規定が、特許に関する条約を、わが特許法の一部として、特許権の内容、効力を定める根拠とする趣旨であることは明らかである。してみれば、特許に関する条約を適用することは、わが特許法を適用することと何ら異ならず、また、条約の条文をその趣旨とするところにしたがつて解釈することも何ら各国特許独立の原則に反するものではない。けだし、右条約の適用は、わが国内法の定めにしたがつてされているからである。

(四)  (1の(四)について)

なるほど、特許法第四四条第二項、第七二条、第七九条、第八一条および第八二条に規定する特許出願の日は、当該特許について優先権が主張されている場合には、第一出国願の日と解されるべきであろうし、右各条に規定される事項は、いずれもパリ特約第四条において明らかに規定の対象とされており、また、特許法第一七条第一項、第一七条の二、第六五条の二第一項には、特許出願の日について、特に、この日がパリ条約に規定する優先権の主張がされている場合にはその基礎となつた第一国出願の日を意味する旨明定されている。しかし、特許法第三〇条、第六九条第二項第二号、第八三条第一項ただし書が規定する特許出願の日について、優先権主張の基礎となつた第一国出願の日が考慮されないでよいとは直ちにいえないところからも、右1の(四)記述のように明確に区別された意識的立法がされているとはにわかに解せられない。また、右のように解することにより、各条文間における表現の差異を形式上矛盾なく解釈し適用できるとはいえても、かゝる解釈は、余りにも表現のみを重視する結果各条文の意図するところを見失うおそれがある。むしろ、右の点につき、昭和三四年改正の特許法(昭和三四年法律第一二一号)においては、優先権の主張がされている場合について、特許出願の日を第一国出願日とするか、第二国出願日とするかにつき、個々の規定において何ら規定してはおらず、第二六条で、一般的に、特許に関し条約に別段の定めがある場合にはこれによるべき旨を定めているのみである。したがつて、立法者の意思も、特許法第一〇四条の規定を含め、各条文の規定における出願日を第一国出願日とすべきか否かについては、それぞれの具体的事項に即し解釈判断すべきものとしていたと考えることが、はるかに合理的な解釈といわなければならないし、この趣旨が、その後改められたものと解すべき資料も存しない。

(五)  (1の(五)について)

なるほど、特許法第一〇四条は、生産方法について特許がされている場合において、その目的物質が、日本国内において公然知られた物でないときに、同条の定める推定をうけうる旨定めてはいるが、右規定から、直ちに、その判断の基準時が、わが国における特許出願の日でなければならないという結論は出てこない。けだし、生産の方法に関する特許発明の目的物質が、わが国において公然知られていないということは、客観的、社会的事実であつて、これを後に人為的に変更することは不可能であるのに対し、その判断の基準時をどこにおくかは、もつぱら、政策的、人為的に定められることであるから、その解釈にあたつては、右第一〇四条が定められた趣旨にもとづいて、合理的な時点が定められるべきものであつて、判断の対象となるべき事実によつて、当然、判断の基準時が定められるという論理必然性はないものといわなければならない。

3  以上のとおり、特許法一〇四条に規定する特許出願の日を、わが国における特許出願の日と解するには、いずれも十分でない点があるので、次に、右特許出願の日を、優先権主張の基礎となつた第一国出願の日と解しうるかについて検討する。

(一)  まず、パリ条約第四条B項の解釈について考察する。

既に、パリ条約第四条A項(1)の解釈として、同項の定める優先権は出願手続に関してのみ適用されるとすることの検討において述べたとおり、同項における「出願をすることに関し」との部分は、優先権主張の効力において何ら制限的に働くものではなく、優先権の内容は、もつぱら同条B項の規定によつて定められるべきものであるから、その適用の範囲は、同項の解釈によつて定められなければならない。ところで、同項には、「…………他の同盟国においてされた後の出願は、その間に行なわれた他の出願、当該発明の公表又は実施、…………その他の行為により不利な取扱いを受けないものとし、また、これらの行為は、第三者のいかなる権利も生じさせない。」と規定されており、右の不利な取扱いを受けない事項のなかには、当該発明が、優先権を主張しうる期間内の第三者の行為によつて、その新規性を損なわれないことも含まれ、また、生じないとされる第三者の権利のなかには、先使用による実施権が含まれていると一般に解されている。けだし、もし第三者の行為によつて発明の新規性を喪失するとすれば、第二国における出願は、新規性の喪失を理由として拒絶されてしまうし、右の先使用による実施権を認めることは、当該発明についての特許権について第三者の権利を肯認することになるからである。そして、同条A項における「出願をすることに関し」との部分が優先的主張の効力に関し、何ら制限的意味をもちえないことは前叙のとおりであるのみならず、同条B項においても、その適用を出願手続にのみ限定すべき何らの文言もなく、その他特にこれを制限的に解すべき特段の理由も見出だしえない。かえつて、先使用による実施権を生じさせないとする点は、特許権の効力に触れたものと解することができる。したがつて、右B項によれば、パリ条約にもとづいて優先権主張がされている特許発明については、単にその出願手続に関するものだけでなく、その他の場合においても、発明ひいてその構成に欠くことができない事項の新規性は優先権主張期間中の第三者の行為によつて喪失したものとされないこと、即ち、その新規性は第一国出願の時において判断されるべきことになるのである。ところで、現行特許法第一〇四条は、昭和三四年法律第一二一号によつて改正された条文であるが、その改正前の大正一〇年法律第九六号には、同旨の規定が、第三五条第二項にあり、「新規ナル同一ノ物ハ、同一ノ方法ニ依リテ製作シタルモノト推定ス」と規定されていた。同規定が、現行法の「日本国内において公然知られた物でないときは………」と改められた理由は、単に改正前の「新規ナル」との規定の内容を明確にしたものと解すべきである。けだし、右改正前後の両条文とも、用語上、その表現しようとするところは同一であるのみならず、他に、その解釈を異にすべき理由も見い出だしえないからである。してみれば、現行法における公然知られた物でないとは依然として新規性を意味しているのであつて、かく解する限り、右新規性の判断には、当然、パリ条約第四条B項の規定の適用があり、その判断の基準時は、優先権主張の基礎となつた第一国出願の日と解さなければらないことになる。

(二)  次に、パリ条約第四条B項後段には、「優先権の基礎となる最初の出願の日の前に第三者が取得した権利に関しては、各同盟国の国内法令の定めるところによる。」と規定されているが、右部分の反対解釈からする特許法第一〇四条の特許出願の日いかんについて考察する。

右条約の規定が、第一国出願の日の前に第三者が取得した権利に関しては、各同盟国の国内法令の定めるところによる旨を定めたゆえんは、逆に、第一国出願の日の後の第三者の行動によつて、第三者に何らかの権利が生じたり、また、第一国出願の効果を減殺するような立法は、各同盟国においてこれをなしえない趣旨であると解することができる。したがつて、特許法第一〇四条についても、その特許出願の日を、わが国における特許出願の日と解するならば、同条は、優先権主張の基礎となつた第一国出願の日の後に生じた事実にもとづいて、第一国出願の効果を減殺せしめる規定となり、右条約の規定と牴触することとなるから、かゝる解釈はとりえないものといわなければならない。

(三)  さらに、特許法第一〇四条の立法目的から、同条の特許出願の日を、優先権主張の基礎となつた第一国出願の日と解しうるであろうか。

特許法第一〇四条が設けられた趣旨は、特許法が第三二条第三号において、化学物質についての発明に特許を与えない旨を規定していることと相俟つて、元来、物を生産する方法に関する特許発明は、たとえこれを第三者が侵害したとしても、その第三者の生産方法を立証することが極めて困難であるため、その生産方法についての立証責任を転換せしめることにより、方法の発明の侵害の防止に資しようとするものであることが明らかである。ところで、現在のように、国家間の技術交流が盛んになり、外国における新しい技術も、直ちに、わが国に伝達される状況の下においては、ある物質の製法の特許が、第一国において出願されながら、その優先権を主張できる期間中に、わが国において、その目的物質の性質、特徴すら知りうる状況におかれないという事態を想像することはかえつて困難である。さらに、特許権者は、特許発明の実施をする権利を専有し、正当な権原によらないで、当該特許発明を実施している者に対して、その実施を差し止め、損害の賠償を求めること等ができ、この特許発明の独占的実施をする権利は、右の差止および損害賠償等を請求する権利として実効をおさめうるのであつて、特に、特許権者が外国人である場合には、わが国において発明を直接あるいは出願後早期に実施するということは少ないのであるから、なおさらのことである。そうすれば、もし、物を生産する方法に関する特許発明について、パリ条約にもとづく優先権の主張がされている場合、特許法第一〇四条の適用において、その特許出願の日を、第二国出願の日と解するならば、実際には、権利者は、殆どの場合、その目的物質は、第二国出願日前に、わが国において公然知られてしまつているため、右第一〇四条の適用をうけられず、その侵害に対して相手方の生産方法を立証しなければならず、極めて困難な立場に立たされ、事実上、第三者の権利侵害を立証しえないこととなつて、優先権主張の効果、ひいては、わが国において特許権を有することの実効は殆ど期待しえない結果となる。かくてはパリ条約第四条の趣旨にも反し、条約の内容を特許法中に一般的に盛り込もうとした特許法第二六条の趣旨にもそわないことになるであろう。

4  以上の諸点からみれば、パリ条約第四条にもとづく優先権の主張がされている特許権について、特許法第一〇四条の適用がされる場合の特許出願の日を、わが国における特許出願の日と解するには、いずれも問題があり、にわかにこれを首肯し難く、かえつて、これを優先権主張の基礎となつた第一国出願の日と解することに合理性を認めることができるから、結局は、後者の解釈にしたがうことが妥当であるといわざるをえない。

四被告らの侵害行為

前叙の如く、特許法第一〇四条の解釈において、同条の特許出願の日とは、パリ条約にもとづく優先権の主張がされている場合にあつては、右主張の基礎となつた第一国出願の日であると解すべきものである以上、本件においては、次のとおり被告らに本件特許権の侵害行為があるといわなければならない。即ち、前示二において認定のとおり、別紙目録記載の物質は、本件特許発明の目的物質であるというべきであつて、右物質は、右優先権主張の基礎となつた第一国出願の日たる昭和三五年八月二七日当時は、わが国において公然知られていない物質であつたものである。また、被告A社は、別紙目録記載の物質を輸入して、被告N社に譲渡し、同被告はこれを製剤し、譲渡していることは当事者間に争いがなく、かつ弁論の全趣旨から、右製剤とは、別紙目録記載の物質を使用して、これを販売のため、治療目的に応じて成型することであつて、結局使用の一態様にすぎないことが認められる。したがつて、被告らが輸入し、譲渡し、使用している別紙目録記載の物質は、特許法第一〇四条にしたがつて、原告の特許発明の方法により生産されたものと推定することができ、被告らにおいて、右物質が、原告の特許発明の方法以外の方法で生産されたとの事実について、何ら主張立証のない本件においては、被告らの右行為は、原告の特許権を侵害しているものというべきである。

五特許法第一〇四条による生産方法の推定の場合の差止めの対象の特定

上述のとおりである以上、その余の点について判断するまでもなく、原告は、被告A社に対しては、本件特許発明の方法にしたがつて生産された別紙目録記載の物質を輸入し、譲渡する行為を、また、被告N社に対しては、同様にして生産された別紙目録記載の物質を使用して製剤し、これを譲渡する行為を差し止める権利があるのであるが、この場合、原告は、右被告らに対し、いかなる程度に、その差止請求を特定すべきかにつき検討する。原告の特許権は、物の生産方法について与えられたものであるから、第三者が、その特許発明を実施した場合、その特許権にもとづいて求めうる差止の範囲は、権利と同一の方法による物の生産であるが、特許法第一〇四条により生産方法の推定がされた場合には、被告が実施した生産方法がいかなるものかは何ら主張立証されておらず、原告としては、被告の生産方法を具体的に特定する手段を欠くことになる。

この特定については、二つの方法が考えられる。即ち、(1)特許法第一〇四条の適用の事案に限り、特許権者は、特許明細書における特許請求の範囲記載の方法即ち、特許発明の方法を実施してはならない旨を求めることができる。(2)同条適用の事案に限り、特許権者は、その生産方法を特定せず、その特許発明の方法によつて生産された物を、直接、生産してはならない旨を求めることができる。

先ず、右(1)についてみると、なるほど、特許明細書における発明の詳細な説明には、その発明の属する分野における通常の知識を有する者が、容易に実施することができる程度の記載が要求されており、特許請求の範囲は、右詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項を記載することになつており、具体性の全くない記載ではないけれども、やはり発明の実施例そのものではなく、技術的思想として、抽象化された記述であるといわざるをえない。このことは、特許権侵害訴訟において、侵害の対象とされた実施が権利の範囲内にあるかにつき、常に特許請求の範囲の解釈が問題とされ、また均等方法が論じられる場合があることからも明らかである。したがつて、右(1)のように、特許請求の範囲にしたがつて、物の生産方法を記載しても、それは具体的に被告の実施する生産方法を特定したことにはならない。それのみならず、右のようにして差止請求の対象を特定し、その訴訟に勝訴した場合の執行において、執行機関としては、被告の具体的生産方法が、差止請求の対象として記載されている原告の権利の範囲内に属するものであるかを判断したうえで、その差止の執行を行なわなければならないという困難な問題を課せられることになる。このような事態が避くべきものであることはいうまでもなく、またかくては、特許法第一〇四条の存在の意味すら失わしめることになるであろう。

次に、前示(2)についてみると、これは、右(1)の場合の、執行上の問題は解決されてはいるけれども、何故に、物の生産の方法を内容とする特許権にもとづいて、その目的物質の生産を差し止められるかが問題となるであろう。しかしながら、この問題は、前叙のとおり、右(1)にしたがつたとしても、必ずしも解決されていないのみならず、そもそも特許法第一〇四条により、原告が、被告の行なつている生産方法を主張立証することを要せず、単に、被告が特許発明の目的物質を生産していることおよび生産せられたものが、特許出願の時に日本国内におい公然知られた物でないことを主張立証することで足るとしたことは、本条が適用される限り、被告に対する生産等の差止は、被告が現実に生産等している物質を特定することにより、これをなしうることを意味しているといわなければならない。けだし、同条は、原告に対して、被告の行為の特定のためには、被告が生産等をする物質を明確にすべきことのみを要求しているのみならず、もし原告が、被告の生産方法までをも特定することを必要とするならば、折角原告の立証の負担を軽減せしめようとした同条の存在意義は失われるものといわなければならない。

してみれば、物を生産する方法の発明についての特許権の侵害訴訟において、特許法第一〇四条にもとづき、被告の生産方法を特定する必要はなく、被告が生産等をする物を対象として、その請求をすることができるものというべきである。

六結論

以上のとおり、原告が、その目的物を特定して、別紙目録記載の物品につき、被告A社に対しては、その輸入および譲渡を、被告N社に対してはその製剤および譲渡の差止をそれぞれ求める請求は理由があり、また、被告らが占有する別紙目録記載の物品の廃棄を求める請求も、被告らの本件侵害の予防に必要な措置であるので、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文仮執行の宣言につき、同法第一九六条第一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(荒木秀一 野沢明 元木伸)

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